医大通り商店会とは


多国籍の飲食店が並ぶ楽しい商店街

私共の商店会は、昭和30年の秋、現在の5丁目~6丁目の通りを「T字街商店会」と銘打って結成されました。

初代会長は針ヶ谷丑次代氏で、当時は街灯4基が建てられました。
昭和47年9月には、石田外雄氏が2代目会長となり、坂の上にある東京医科大学の名称をとって、「東京医大通り商店会」と改称しました。街路灯は、当時の役員が中心となって設置をすすめ、会員の皆さんのご寄付によって、同年12月7日に22本が完成、盛大に祝賀会を開いて商店会の発展を祝いました。区商連へ入会をしたのもこのころです。

その後、新しく街路灯も24基建設し、街づくりに努力しています。会員全員、新宿の一翼を担う商店街となるべく、発展を願い、商店街活動を進めていきたいと思っています。

平成28年(2016年)、商店会名の由来でもある東京医大が創立100年を迎えます。合わせて商店会名も「医大通り商店会」とします。

 商店会 会長


会長 梅橋 嘉博

人に恵まれ続けて、いまここにいる

「絵を描くのが得意で、美術の道を志したこともあった。」そう語るのは、ここ医大通り商店会の会長を務める梅橋嘉博。「歓[fun]」という店名で14年間、中華料理店を営んでいる、美術少年だった梅橋さんが料理を始めたのは20歳のとき、父親からの助言で中華を選び、単身、新橋の中華料理店で住み込みの修行を始めた。

「当時は中卒からやっているような人も多くて、自分とより年下の人が野菜を切っているのを見て悔しくて仕方なかった。夜中にこっそり起きてきて、一斗缶のタケノコをひたすら千切りにして翌朝怒られたり・・・でも、それしかできなかったから。」そんな梅橋さんが過去最も長く17年間務めた店が、新宿三丁目にあった。

「もとは調理場にいたが、その時の上司が抜擢してくださり、ホールに出て支配人をするようになった。そしたらお客さんと話すことが、もう楽しくて。」そう嬉しそうに話す梅橋さんにはあったという間にファンがついた、医師や弁護士など、立地が立地だけにそうそうたる面々だ。ほどなくして経営者の切り替わりのタイミングで独立を決めたが、3人の子どもたちの教育費などお金がかかる時期と重なった。

その窮地を救ったのが、梅橋さんを慕うファンたちだ。「全部で10名の方が、それぞれお金を出し合ってくださり、数百万円集まって。それを元手に店をつくろうと動き出し、出会ったのがのこ物件だった。」ファンのみなさんからの「美味しくて楽しい店をつくってくれ」という大きな期待を感じた梅橋さんは、全員が男性(GUY)の彼らに敬意を評して社名を「會(guy)ダイニング」とした。

「店を開いてからも、簡単なことばかりじゃないよ。苦しいときのほうが多いくらい。でもその度に周りの人が助けてくれて、いまがある。だからこの医大通り商店会で店を経営する仲間たちや、勇気を持って出店くれた人たち、みんなのことを俺は応援したいんだ。」そう語る梅橋さんからは、この地域を、店を、仲間を盛り上げるんだという確かな覚悟を感じた。「5月には周辺の町内会でお神輿をかつぐ。ハッピを着れば誰でもかつげるから、来たいなら教えてね、ハッピ多めに注文しとくから。」そう言って梅橋さんは笑った。


URBAN
LOCAL
HEROES

世界一のターミナル・新宿駅から徒歩5分の場所に、ひっそりと医大通り商店会はあります。大都会の高層ビル郡の間にある、なぜかホッとできる空気が流れた通りです。ここにいる「都会(URBAN)を地元(LOCAL)に感じる人々」が、この通りに不思議な安堵感を与えているのです。住民通りの会話、お客様のやりとり、働きに来ている方との挨拶。様々なシーンで「おかえりなさい」が行き交います。

さまざまな「おかえりなさい」を用意しながら、
医大通りでお”街”しています。